我々は福島事件で逮捕された産婦人科医の無実を信じ支援します。
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医療崩壊に関する今日エントリは、一日遅れましたが、「新小児科医のつぶやき」の「2007-02-07 2.18企画」賛同して書いたものです。あまりうまい事は書けませんが、勇気付けられる人もいるかもしれませんので、表明したいと思います。
現実に即していない法令解釈を用いて法令順守重視を主張しても本質を見失うだけだと感じています。
さて、法令順守を考えて行動し、誰もがやりきれない気持ちになった出来事に関するエントリーを読みました。
ぜひ読んでいただければと思います。
哀しい色やね(産婦人科残酷物語 U)
法令順守に関する磯崎哲也さんのエントリーも大変興味深いのです。
キリスト教のベースがない日本は「法化社会」になれるのか?(isologue - by 磯崎哲也事務所)
「法令遵守」が日本を滅ぼすという本がでてるんですね。ちょっと読んでみようと思いました。
先日読んだ悪魔のささやきに次のような文章がありました。
自分の無力さを感じるような事柄に興味を持ち続けるのは辛い部分もありますね。さて、先ほど日本社会、とくに都会は、環境面でも人々の暮らしぶりという点でも刑務所に似てきているという話をしました。社会の刑務所化によって生じる問題としては、すでに指摘したこと以外に、関心の狭隘化が挙げられます。
刑期が十年から無期にわたる長期囚は、興味を持つ対象の幅が極端に狭い。話す内容のほとんど、いやすべてが、昼食のおかずはなんだろうとか、あの看守は厳しいとか、囚人仲間の悪口といった刑務所内の日常生活に関することに限られます。外の世界で起こっていることについては、政変も戦争も娯楽も文化もまったく関心を抱きません。私のほうから無理にそちらへ話題を振ってもとんと反応が無く、そのうち無表情になって黙りこくってしまう。まるで日々の単調な生活、狭い時空に自己の精神をぴったり合わせてしまったかのようです。
考えてみれば、それもしかたのないことなのでしょう。外の出来事に興味を持ったり、将来の自分の生活について考えても苦痛なだけ。だから彼らは、長い長い拘禁状態、もしかしたら一生続くかもしれない監獄での単調な生活に耐えるよう、無意識のうちに自分の精神を作り変えてしまったのです。これを心理学では刑務所化された状態、プリゾニゼーションと呼んでいます。
気がつけば興味を無くしてしまったという事は今まで知らず知らずあったような気がします。
医療崩壊についてあれこれ考えるのは少々辛いところもありますが、これからも興味をなくさないよう、意識していきたいとおもいます。
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